特別支援教育(知的)をやっていると、放課後デイサービスとか、もっと年齢が上の人が使う、作業所とか、知的障害者更生施設(やな名前ですね)と比較してしまう機会が多くなります。
年齢が10歳の子ども(小学校4年生)がいて、支援学校(知的)に入る子供となると、一番知的に高い子が、小学校1年生か2年生の入り口付近くらいで、多いのが保育園4・5歳児クラスくらい。重い子になると、1歳児くらいの知的能力となりますので、そういうお子さんに、ハサミを使わせたり、絵の具を使わせたり、字を書かせたり、絵本を読ませたり、そういうことを、思い切りできるのは、やっぱり、学校の教室になってきます。家庭でハサミや絵の具を彼らに渡すと、切ったらまずいものまでじゃきじゃき切ってしまうでしょうし、あるお子さんは不注意でケガをしてしまうかもしれません。絵の具をわたしたら、部屋一面絵の具だらけになることだってあるでしょう。
教育は、彼らに障害があろうとも、道具や技法を教えることであるし、文字の読みを教えることだし、はしをもって食事をとることも教えるし、たいこのたたき方、縄跳びのとびかた、跳び箱や、ボールの蹴り方なども教えます。メロディベルだってやりますよ。
彼らにとって、子どもの時にいろんな経験を積むことはとてもいいことです。
教育によって、障害児の将来の生活は、より開かれたものになることでしょう。
支援学校では、彼らが大きくなってから困らないように、身辺自立や、心理的な自立を目指します。
また、支援は、作業所とかはまた目的が別ですが、家庭と同じ役回りになってくるように感じています。それはきっと利用する人の心のよりどころとなることでしょうし、癒しにもなるはずです。
だから、教育には教育のいいところ。
支援には支援のいいところがあると思うのです。
わたしが教育を選んだのは、子どもの時の教育によって、大人になってからの人生の豊かさが、変わってくると考えているからです。